2014年05月07日
小さな判断の連続体
いつも次こそはゴールドと思いつつ、運転免許証を持ってもうすぐ30年になるというのに、まだ一度もゴールド免許を持ったことがありません。
なんだか、うまい具合?に2~3年ごとに反則切符を切られています。
そして昨日も、3年ぶりに切符を切られてしまいました。
目的地に急いでいて、運転中ふとカーナビを見ると普段ナビ無しで走るときとは違った道が選択されていました。
なるほど、こちらの道が早いのかな、と妙に納得してナビの案内に従うことに。
すると最初の交差点では直進したいのに、ナビの車線案内をよく見ていなかったせいで、私の走っていた一番左車線は無条件左折レーンに。
しまった!と思いつつもナビの地図をよく見ると、左折したあとの最初の交差点をまた右折すると、元々走っていた道路と並行に走っている道路があり、その後元々の道路に合流するよう。
これはラッキーと思い、無条件左折をそのまま左折し、その次の交差点を右に曲がったとき、ちょうど偶然道端を自転車で走っていたおまわりさんに止められてしまいました。
最初は、なぜ止まれと言っているのか全然わからなかったのですが、今右折した交差点は時間帯規制で右折禁止だったとのこと。
おまわりさんは丁寧に「念のため標識を確認しに行きますか?」
どおりで無条件左折後、再検索されたナビの表示は右折になっていなかったんだと、妙に納得してしまい、急いでいた私は「大丈夫です。」
おまわりさん:「この交差点が時間帯規制で右折禁止なのはご存じなかったのですか?」
私:「全然知りませんでした。知ってたら曲がりませんよー」
おまわりさん:「お気の毒ですが、みなさん平等に切符を切っていますので、切らせていただきますね。」
3年ほど前に切符を切られたときは、一時停止の停止線が私的には極めてわかりづらい、しかも数回しか通ったことのない交差点でした。
そこで、おまわりさんが待ち伏せしていて引っかかってしまったのでした。
あの時は私個人的な印象ですが、言葉を選ばずに言うと姑息な取り締まりの感がどうしてもあって、随分おまわりさんにも食い下がったものでした・・。
(まあ、いずれにしても違反している私が悪いのですが。)
ところが今回は、ものすごく自分自身で納得してしまって「もちろん反則切符は切っていただいて構いません」と答えました。
免許証をおまわりさんへ渡して切符の作成を待っている間、こんなことを考えてしまいました。
まずは最初に、ナビをあてにせずいつもどおりの走り慣れた道を走っていたら。
次に一番左車線を走らず、中央車線を走って最初の交差点を直進していたら。
左折してしまった後も、次の交差点で右折せずにナビどおりに直進していたら。
いずれも反則切符は切られなかったのでは、と思う。
でも、これって人生や経営と似ているなと。
あの時、起業していなかったら今が無いんだよな。
あの時の経営判断が的確でなければ、今が無かっただろうな。
また、数々の採用面接をしてきて、縁のあった今の素敵なメンバーとは奇遇だな。
そもそも応募してくれなければ出会ってなかった訳だし。
人生って、ほんの小さなことでその後の道が大きく変わるんだよな。
で、どんな大きな出来事も最初は、道路で左車線を走るか中央車線を走るかくらいのどうでもいいようなことの連続体でつながっているんだよな。
そうこう考えていると反則切符が出来上がり、認め印を持っていなかった私は左人差し指で拇印捺印。
でも、この短い待ち時間でひとつひとつの小さな出来事への判断・決断がとっても大事なことを再認識した気がしました。
よーし、今のファースト・スティングのメンバーとの出会いに感謝するとともに、みんなとHappyを築き上げていけるよう、これからも精一杯の判断を忘れないでいよう。